2012年2月20日月曜日

第10回東京例会発表概要 今野哲也

2012年3月25日(日)に行なわれる日本音楽理論研究会第10回東京例会の発表概要第2弾、今野哲也さんの発表の紹介です。

 楽曲分析:アルバン・ベルク《抒情組曲》から第Ⅵ楽章(声楽版)――象徴・音列の観点を中心に―― 今野哲也

 アルバン・ベルク(Alban Berg 1885-1935)の死後、妻ヘレーネ(Helene Berg 1885-1976)によって、彼の遺稿はオーストリア国立図書館(Österreichische Nationalbibliothek)に寄贈された。その資料に基づくパール(George Perle 1915-2009)らの研究によって、《抒情組曲 Lyrische Suite》(1925-6)は生涯人目を忍びながら愛し合ったハンナ・フックス夫人(Hanna Fuchs-Robettin 1896-1964)のために作曲された作品で、特にその第Ⅵ楽章には「歌」が隠されていた事が明らかにされた。歌詞は、ボードレール(Charles Baudelaire 1821-1867)の『悪の華Les fleurs du mal』の「憂愁と理想Spleen et Idéal」から「深淵より叫ぶDe profundis clamavi」が選ばれているが、実際にテクストとして用いられているのは、フランス語の原詩ではなく、ゲオルゲ(Stefan George 1868-1933)によるドイツ語訳である。ゲオルゲは『悪の華』第三版(1868)を底本とし、1891年には私家版として、いくつかの訳詩を世に出しているが、個別の作品の翻訳年は不明とされている。しかし、こうした事が明らかにされた現在においても、作曲者にそれを公表する意志が無かった事もあり、一般には、声楽付きの第Ⅵ楽章(以下、たんに第Ⅵ楽章)が正当な作品として位置付けが成されているとは言い難い。しかし本発表では、敢えて第Ⅵ楽章を取り上げ、歌詞も手掛かりとしながら、音楽理論の観点から楽曲分析を行う事を目的とする。
 《抒情組曲》で用いられる象徴や引用については、さまざまな先行研究でも指摘されている。例えば、ベルクの頭文字[A]lban [B]ergとハンナの頭文字[H]anna [F]uchsは重要であるし、数字の象徴(ベルクは“23”、ハンナは“10”)はテンポ数や小節数にも用いられる。ヴァーグナー(Richard Wagner 1813-83)《トリスタンとイゾルデ Tristan und Isolde》(1857-59)からの引用も印象的である。また、音楽的な観点から幾つか特徴を挙げるならば、①音列の恣意的な使用、②(広義の意味の)無調性と調性の要素との極端な対比などであろう。たとえば、第Ⅵ楽章は12音技法で書かれているが、音列を柔軟に扱う事によって、ひびきを操作しようとする意図も見出される。ベルクの手稿を基に作成した音列分析を示し考察を進める。
 ところで、第Ⅵ楽章の和音や和声について考察を始めると、「無調性や音列技法による作品に和声の概念が成り立ち得るか」という、困難な問題に直面せざるを得ない。ヒンデミット(Paul Hindemith 1895-1963)を始め、パーシケッティ(Vincent Persichetti 1915-1987)、あるいはフォート(Allen Forte 1926-)といった古今の作曲家・理論家の著作では非常に興味深い試みが展開されているが、全てにおいて成功しているとは言い難い。本発表では、この点についても問題提起を試みる。