2012年12月9日日曜日

第11回東京例会発表概要 佐野光司

 来る2012年12月16日(日)に行なわれる日本音楽理論研究会第11回東京例会で発表する、佐野光司氏の発表概要を掲載いたします。

 「ベートーヴェンの「新しい道」とは、どのような手法を意味しているか」 佐野光司

 ベートーヴェンの音楽様式の区分について語られるとき、必ず引用される言葉はベートーヴェンが弟子のカール・チェルニーに語ったと伝えられる「新しい道」である。これはチェルニーによると1802年にベートーヴェンがチェルニーに語ったということでベートーヴェンの様式区分の第2期を1802年に求めようとすることが多い。

 ベートーヴェンの作品群ではピアノ・ソナタが最も連続して書かれているのでどの作品からを第2期とするかが問題となり、「新しい道」の発言が1802年ということで、その年に書かれたピアノ・ソナタでは《テンペスト》あたりからではないか、としばしば言われてきた。

 しかし、作曲家が自分の作法を新たにするとき、最初からその方法論を考案してから行うことはきわめて稀なことと言わねばならない。シェーンベルクの12音技法すら、突然現れたのではなく、12音技法完成の年とされる1921年以前に、6音の音列によって作曲された未完の《ヤコブの梯子》(1917)があり、そうした音体験の後に、12音技法が生れてきたのである。その意味ではスクリャービンの「神秘和音」も考案されて出てきたものではなく、彼の作品の過程の中での音体験から生れてきたもので、その命名もスクリャービンではなく、友人のサバニェーエフが、スクリャービンの《交響曲第5番「プロメテ」》(1910)の和音に付けた名前である。

 ベートーヴェンもみずから「新しい道」を見出して、その方向に向かって作曲を新たに開始した、と考えるのはあまりに短絡的であろう。むしろ自分の作曲した作品の中に、新たに今後の方向性を見出して、それを「新しい道」という表現で語ったと考える方が妥当だと私は考えている。

 ではどの作品の中にベートーヴェンは「新しい道」という概念を見出したと考えるべきだろうか。私はそれをピアノ・ソナタ第14番《月光》と考えている。ここには20世紀になって「音列技法」と呼ばれる作曲法の原点ともいうべきものがある。

 しかし、ベートーヴェンはそうした「音列」的な作曲法を押し進めたのではなく、さらに多様な方法論を身につけていくのだが、すくなくとも1801年~02年のピアノ・ソナタ、そしてヴァイオリン・ソナタ第9番《クロイツェル》(1803)、交響曲第5番(1808)、第9番(1824)などにその手法が見られる。

 12月16日にはそうした手法に至る以前のピアノ・ソナタから、いかにそこに至ったかについて話したいので、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの《テンペスト》が入っているあたりまでの楽譜を持参して頂ければ幸いです。

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